「幸せ」と「虚しさ」は、反比例する感情です。
友達が少ない ↓
虚しい気持ちが強まる ↓
将来への希望が見えない ↓
友達を増やせば解決する ↓
友達を増やす努力をする ↓
嫌われないために努力する ↓
友達に合わせる ↓
友達の理想を叶える ↓
自分の理想は友達の理想になる ↓
自分がなくなる ↓
虚しい ↓
幸せではない
この場合、「幸せの選択」を間違えてしまうポイントは、「友達を増やせば解決する」というところです。そこから未来は、望まない方向へとゆっくりとカーブを描いていきます。
人数と幸せは関係しないし、幸せは外側にはなく、自分自身の中にしかない。
この間違った循環は、厚生省のライフワーク調査で20~29歳までに強くあらわれています。
また、中高年(50~60代)の女性を対象としたリサーチでは、あまり他者と関わらない傾向の人や、夫婦関係が良くないと思っている人ほど「虚しい」気持ちを感じやすい結果でした。これはコミュニケーション不全を投影しています。
さらに年齢が上がるにつれ、ライフイベント上の変化で虚しさが増しているという事実さえ、現代のコミュ不全を投影している結果です。
一緒に喜んでくれる人、一緒に泣いてくれる人、一緒に怒ってくれる人・・・この「一緒」を求めながら、虚しさを感じる矛盾を統合すれば、虚しさの対極「充実・充足・満足感」は得られるのです。
虚しさとは
虚しさとは、物事が終わりを告げた時に感じることが多い「無価値感」であり、「やることに意味を見いだせない状態」になります。
「これしたらいいよ」と言われても、登録が面倒とか、時間がかかるからとか、やってもどうせ無駄とか、やる前から結果を先に求めてしまう心理とも言えます。
私の知っている人の中にもこういう人がいました。
「ヤマモトさんと同じ本を読んでいるのに、共感するポイントも考え方も似ているのに、どうして私はうまくいかないの?何がマユミさんと違うのかわからない」と言われていました。
この人の場合の簡単な違いは、著者に会ったか?会っていないか?です。
手を伸ばせば、講演情報は常に掲載されていて、ともすれば、講座まで受けられるのに、なぜ、読んで終わるでしょうか。というところが、この人の問題の本質です。
本に書いてあるとおりやってもうまくいかないなら、直接聞きに行けば良いのです。しかし、その人は、そもそも本に書いてあるとおりにやりませんでした。だから、会いに行く以前の問題として、「読んだ」ということが挙げられます。
つまり、本を読む目的は、読むことだったら、読んだら終わりです。
「虚しさを感じるのは、物事が終わった時」と言いましたが、この人のように結果を先に求めるようになるのは、目標(ゴール設定)が定まっていないからです。
東大に入ることが目標なら、東大に入ったら終わり、ということです。東大を卒業することが目標なら、東大を卒業したら終わるのです。東大卒にニートが多いのは、卒業してどうしたいの?そのあとどうなりたいの?という人生の目標がないからです。そして、物事に「それをする意味」を見いだせなくなってしまうのですね。
私は一冊を少なくとも3回復読します。そして、書いてあるとおり真似をします。以前、真似をしているうちに会いに行きたくなりました。それが、JALを再建した稲盛和夫さんでした。
そして、自分だけの型ができました。守破離をちゃんと守りました。つまり、私が本を読む目的は、読んだ後、そのとおりに真似をしてみて、達成したい目標に向かって改善を繰り返していくことですので、当然、読んだ後、すべてが始まっていきます。
私の生徒の中には、心屋仁之助さんのファンの方が多いですが、みな心屋さんに会いに行かれています。では、DVDや本だけでなく、どうして会いに行くことが成否をわけるのでしょうか?
読書は、自分の今までの固定観念で読むからです。会いに行けば、その固定観念は簡単に書き換えられます。なぜでしょうか?「好きだから理解するために聞ける」からです。
否定する目的で話を聞く人も、肯定する目的で話を聞く人も、それぞれ目的を達成しますね。 目的を達成したら手段は失います。なぜなら、手段は目的のためにあるので、目的が達成できれば不要だからです。
では、心屋さんに会いに行ったら、稲盛和夫さんに会いに行ったら、心屋さんや稲盛さんを失うのでしょうか。 何度でも会いに行きたい理由が自分にあれば、心屋さんや稲盛さんは、自分の手段ではないということです。
二人は、それぞれの人にとって、自分の目標になっているのでしょうね。心屋さんと稲盛さんのブランド戦略が成功している結果だと言えます。
私が知っているその人は、ゴール設定がありませんでした。それが、虚しい結果を起こす出来事に出会う要因です。
何千冊の本を読み捨てるより、たった一行を愛し、一行を「丁寧に」やりぬくことで、アイデンティティが確立できます。
虚しさは、無いよりあったほうがいい感情です。なぜなら、「充電」するために必要だからです。大きな仕事が終わって一段落したとき、就職が決まって入社までの期間、次に始まる目標に向かって休むために「虚しさ」は感じたほうが良い感情です。
その「良い虚しさ」は、遠足の帰り道、デートが終わって家まで送ってもらう道中、仲間が家に遊びに来て帰った後、片付けも終わった誰もいないリビングを見た時、私なら舞台本番の前、リハーサルが終わった後、本番後打ち上げが終わって、スタッフみんなが帰った後、「こんな日がずっと続いたらいいのに」「明日が来なかったらいいのに」という「今ここ(この瞬間)」に希望をもっています。
ここでお気づきになった人もいると思いますが、この「良い虚しさ」こそ、先に申し上げた「一緒を求めながら、虚しさを感じる矛盾を統合すれば」という部分ですね。
良い虚しさとは、「寂しさ」のことです。
寂しいのは、好きな人がいるということです。
虚しさが満足の有無を指すのに対し、「寂しさ」は、人を指しています。つまり、人間は、誰かに必要とされていると感じているとき、虚しさは満足に一変します。
では、情熱が失せる虚しさとは何でしょうか。
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