そもそも「許し」という言葉は、相手を許しなさいという意味ではありません。
ここを間違えて捉えている人が本当に多い。
許さなくてはいけないのは、あくまでも自分です。
ネガティブな感情を払拭できなくて悩んでい方が本当に多いのですが、たとえば、許せないという感情があるなら、そういう感情を持ってしまった自分を許すのです。
「恨んでしまったよね」と。
あくまでも「感情を受け容れること」を「許す」といいます。
なので、相手を許そうとか、相手も悪気があるわけじゃないとか、良い子の自分で悪い子の自分を言い聞かせるのではなく、抑え込むのでも決してありません。
人は誰かを許せないほど、前に進めない自分、凹んでる自分、進めないと自分を責めてしまっています。その自分に追い打ちをかけるように自分で自分を奮い立たせ、無理にでも凹んでいてはいけないと言い聞かせてしまうのですが、それらすべてを許すのです。
許すとは、受け容れることです。
そこにジャッジはありません。
ただ受け容れるだけです。
そして、「許し」にはもうひとつ大きな意味があります。
それは、「受け取る許可を自分に与える」ことです。
どんなチャンスもラッキーなことも、実は誰のところにも同じようにやってきています。それを掴めるかどうかは、「受け取る許可を自分に与えているかどうか」次第なんですね。 だから、常に、いつも、何度でも、何でも「受け取ること」を自分に許すのです。
ではなぜ、受け取ることを自分に許さないのでしょうか?
それは、罪悪感があるからです。
「受け取ってはいけない」
「自分には受け取る資格がない」
「価値がない」と・・・。
かようにも罪悪感とは、人を幸せから遠ざける最たるものなのです。
自分を責めることだけにフォーカスして、反省して改善して、前に進むということをしません(もうひとりの自分がさせません)。
やらかしてしまったことでいつまでも自分を責めるのではなく、「やってしまったね」「やってしまった自分を責めているよね」と、受け容れてあげてください。
あくまでも、常に自分も人も「ノー・ジャッジ」です。
そして、やってくるあらゆる良きものを掴む許可をご自分に与えてください。
一歩を踏出すことを、自分に許してあげてください。
その状態のあなたを「可愛い」といいます。
愛されることを許可する「可愛」そのものが「可愛らしさ」です。
とても力のある男性ほど「受け取る許可を自分に与えるだけでいいんですよ」とお伝えしたら、「なんだ、そういうことか!」と気づいていただけて、その後すぐに、本当に驚くように成果を得られる方が多いのです。
本当にただ気づくだけ、気づくだけでいいのですが、「受け取っていいんだ」と気づくためには、いかにこれまで受け取っていないものがあったか、ということに気づいていただく必要があります。
いかに自分に受け取ることを許していなかったか、どれほどの罪悪感を抱いていたのか、ということに気づいていただく必要があるのです。
その受け取れていない状態を「自立」といいます。
一人でなんでもできることはいいことなのですが、反対に「自分のやり方でなければならない」ようになっていきます。その状態が「自立」です。ここで言う自立は、独立や巣立ちの意味ではなく、相手を受け入れない状態を指します。
罪悪感に気づくことは、決して楽しい作業ではありません。
抱いていた罪悪感の重さ、自分を罰していたことへの後悔、そういったものにフタをせずに向合っていただくことが大切なのです。
そうも抑えていたものがあった、とわかっていただくことによって、「なんだ、受け取るだけでいいんだ」と、腑に落としていただくことができます。 受け取れてなかったから、欲しいものが貰えてなかったから、自分にはその価値がないんだ、と思ってしまったのです。
物事はすべて表裏一体ですので、自立の人は与えることで承認を得ようとし、承認が得られないと「してやったのに」という感情が残ります。感謝されるために与えようとするからです。
これは、裏を返せば、ほしいものがもらえなかったのは、自分にはもらう価値がないからだと思いこんでしまっただけですが、その反動で「与えることでほめてもらう」行動にでてしまうのですね。
貰えなかった痛みにフタをしないでください。
「貰えなくて辛かったね」と、まず、最初に自分を思いっきり可哀想がってあげるのです。強がるのではなく、自分のために泣くのです。
「可愛い」という言葉があなたには似合います。
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